70年代半ばのアメカジ?

今日、下北沢駅北口の市場(今は「市場」という面影は薄いですが)を通ったら、70年代半ばに、LEVI’SやLeeのパンツ、ワークシャツなんかを買いに行ってた「アメリカ屋」が店を開けていて、ご主人と立ち話をした。
78歳だそうだがナリが若いし、口調も若々しくて、とてもそのお歳には見えない。
1953年創業だそうで、アメ横の三浦(現・SHIPS)もそうだけど、紛れもなく「元祖・アメカジ」ということだ。
あと、渋谷にミウラ&サンズが出る前から、たぶん、60年代からなんだろうけど、ラブホ街そばにアメリカ衣料なんかを売ってる店(横丁)があって、まぁこっちは古着も多かったし、スカジャンとかぶら下がってて、ちょっと違う香りだった。
「Made In U.S.A.カタログ」っていうのが75年くらいに出たりして、その頃はアメカジって言葉は使わなかったけど、アウトドアものや、ヘヴィーデューティー”Heavy Duty”(って言葉も、この頃から使われるようになったと思う)なアメリカン衣料が日本の若者達に認知され始めるようになり、その流れがポパイ創刊に繋がったんだろう。
ヒッピー文化以降に、70年代初めから半ばにかけて、日本の早いもの好きな若者のハートを捉えたアメリカン・ファッションは、サーファー・ファッション以前に、ワークウエアなど、ヘヴィーデューティーなティストのものだった。
ダウンベストが上陸したのも、75年くらいだったと思う。
それまでの日本人は、ダウンベストって(綿入りのチョッキはあっても)誰も着ていなかったのだ。
下北で、そんな立ち話をちょっとしたものだから懐かしくなって、去年亡くなった母の遺品の中から、古い写真を見返してみた。


これは1975年だと思う。21歳。長髪だったのをディスコに入りアフロパーマをかけて(そこの入店条件だったw)、またそれを落として伸ばしはじめたらサザエさんのようになっちゃったのを覚えている。w
着ているのは、10-Xというハンティングウエアのメーカーのダウンジャケットで、当時、ダウンジャケットというものが、ほとんど着られていなかったので得意になって着ていた。(__;)
こうやって見れば、服装としては、今の若い人と然程の違いはないのでは?と思うのだがw、当時としては全く変な格好で、この頃、勤めていたディスコで、ナンパしようとした女の子から「なんで、ドカジャン着てるの?」と不思議そうに聞かれてガッカリしたのを覚えている。(T^T)
まぁ、当時はオシャレな人は、基本、ニュートラっぽいか、JUN & ROPEっぽいか、はたまた、一気にヤンキーか、っつーようなもので、その5年後くらいに若者総サーファー化するなんて現象は誰も、夢にも!想像していなかった時代だったんだよね。
話は戻るが、下北沢北口の市場は、開発工事に伴って近い将来に取り壊される運命にある。
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寂しいことだが、既にこういう状態だった。
そうそう、思い出したのだが、私のドカジャン風ダウンジャケットは、その後、今は亡き、DJ.トーマスが新宿東亜会館にあったシンデレラというディスコに入店したのを祝って、古着ではあったがプレゼントした。
その頃の彼を知る人は、もしかしたら、トーマスがドカジャンを得意気に着ていたのを覚えているかも知れない。(笑
チャンチャン♪