![434414025_183.jpg](https://funk-funk.com/wp-content/old-uplords/archives/434414025_183.jpg)
FUN-RAJI(ファンラジ)では、LIVE放送中はチャットルームも公開し、リスナーさん同志の交流の場となっております。今回も、このLIVE放送を録音しアップしました。(※ 7月1日放送分)
録音放送につきましては、毎回のプレイリストの上に専用プレイヤーを設置しています。
![topnav-listen-on.gif](https://funk-funk.com/wp-content/old-uplords/archives/topnav-listen-on.gif)
いっやぁ~~~~~~!
なつかしい~~~~~~~!
![v-one-card.jpg](https://funk-funk.com/wp-content/old-uplords/archives/v-one-card.jpg)
1974年に僕が初めてDJをスタートしたのは、新宿西口にあった「Funky Disco V-One」だったんですが、その時の同僚の浜田ちゃんから画像をもらいましたっっ
35年の歳月を経て、さすがに擦れちゃって満身創痍という感じですが、いやぁ、このカードも世の荒波の中、生き抜いてきたんですねぇ~(←意味不明)
てか、ニューヨークニューヨークとかのキーホルダーとか、70年代最後~80年代に入っての東亜会館の各店のカードとかは何かの折りに目にすることがありますが、さすがにV-Oneのは、まず見ませんね。
「1974年は世界的なディスコ元年」と言われるように、ある程度の規模を備えたディスコが確立されはじめたのは74年でした。もちろん、赤坂MUGENをはじめ、六本木、青山などなど既にディスコは存在していましたが、本格的なスタート切ったのは74年だったんですね。あのアフロレイキがオープンしたのも74年でした。
ミラクルのカワバタさんも「V-Oneは特別だったよね!」とおっしゃってくれましたが、当時、ファンキーディスコを標榜した店はまだまだ少なく、特に新宿で黒人DJがFUNK、SOULを回してる箱はV-Oneと同系列のQ&Bくらいでした。
今となっては、ディスコの歴史に出てくることもないV-Oneですが、僕は、あの店に居れたことは今でも誇りに思っています。
そして、これっっ
![anotherworld-card.jpg](https://funk-funk.com/wp-content/old-uplords/archives/anotherworld-card.jpg)
アフロレイキの社長、マリオ山口さんが76年に出したアナザーワールド!このカードは六本木店のですね。最初のアナザーワールドは成城学園に出して、僕はそこのオープンからいましたが、昨年、若くして亡くなったマイケル池田や、最近までキサナドゥの社長をつとめた澤村ススムが同僚でした。
ロゴマークからして、どういう店か分かっちゃいますねぇ~
そしてそして、これっっ
![embassy-card.jpg](https://funk-funk.com/wp-content/old-uplords/archives/embassy-card.jpg)
いわずもがな・・ブラックディスコの総本山、エンバシーの紙、い、いや、カードですが、もうこの出来具合からしてFunkyでありますっっ
まだ、ディスコがブラックミュージックで溢れていた時代でした。