「ブラジョンの思ひ出」(だから、なんで旧かな?)

(掲示板からの転載です・・)
僕が、ディスコの現場にいた76年の時だったと思うんですが、同僚だった黒人兵が兵役を終えて、いったん帰国、そのあと、上智大学に留学のかたちで日本に戻ったんですね。
[追記] 米国が徴兵制だった、ベトナム戦争終結後も、兵役を終了すると奨学金などがもらえたんですね。
その時に持って帰って「こいつは、すごいぜ」って聴かせてくれたのが、ブラザーズ ジョンスンの”I’ll be good to you”でした。当時、どファンクが主流でしたし、P-FUNKの台頭もすごいものがありましたんで、素直な感想として「なによ、これ?」みたいな気持ちでした。

でも、ヤツが「良い、良い」としつこいので(爆、気になって聴いているうちに、お洒落な(当時としては斬新!)印象の底辺に潜むFUNK、GROOVEに掴まったんですねぇ・・
まぁ、僕自身も、下記画像の状態でしたから、次から次に入ってくる・・と言うか・・日に日に変化していくブラックミュージックに「貪欲に、くっついていきたい!」という気持ちがスッゴク強かったんです。要は、恋愛ですね。
kawa-e.jpg
でも、決定的に打ちのめされたのは、ブラジョンとしての初来日だったと思うんですが、中野サンプラザでのコンサート・・ルイスが機関銃を撃ちまくるように叩き出すパーッカッショナブルなベースに、鳥肌、失禁(うそ)、エクスタシー(ジミー大西)・・とにかく、すごすぎ!な印象でした。
スライ&FSの頃から、ラリーグラハムのチョッパーは話題になっていましたし、個人的に、すっごい好きなんですが、ルイスの直感的なフレーズは本能的な部分を直撃しました。あの人は譜面読めませんでしたから、ほんと、直感なんでしょうねぇ。
それから、あの頃は、なにかとスタンリークラークの早弾きとルイスのチョッパーが比較されてましたね。
そのあと、77年くらいだったかな、新宿にあったチェスターバリーというディスコでDJ勤務していたんです。その店は、当時ありがちなディスコ・スタイルで、DJとフィリピンバンドと交代で踊らせる店だったんですね。
で、ブラジョンが再来日。
僕のいたチェスターバリーにブラジョンが遊びに来るということになったんです。あくまで、遊びですね。で、来るという情報が入った時点で、DJ陣が「じゃ、ステージあるし、楽器もあるから、演奏させよう!」ってノリになったんです。「プロの売れっ子ミュージシャンが、遊びに来た店でやらんでしょう」ってのは、当たり前な話なんですけどねぇ、シャレで僕ら、「演奏させちゃおうぜ」みたいなこと言ってたんです。
で、ほんとに、来た。ブラジョン。
当時のチェスターバリーって店は500名を越えるお客さんが日常的に入ってたんですが、僕らDJがMCであおったんです。
「ブラジョンにプレイしてもらおうぜ!全員、立ち上がって、ルイス・コール!ジョージ・コール!」
そしたら、、全てのお客さんが「ルイス!ジョージ!」の連呼!!
どうなったと思います?
ブラジョンが、ハウスバンドの楽器を使って、プレイしたんですよ~
3曲だったと思います。
すごかったですよ、ほんと、すごかった。
ルイスが、弦を切って、ベース換えたりしましたけど、そりゃぁもう・・これがストリートから、のし上がったミュージシャンの底力だぜ!とぶっ飛びました。
この時、一番、失禁ものだったのは、突然、ブラジョンのバックをやらされたフィリピンバンドの連中だったでしょうね(核爆
で、なんの話だったでしたっけ?
いや、ファンキーな話は「まとめちゃだめっ!」がお約束だから(誰が決めたの?)、このままで失礼しますっっ