先日、音楽評論家の吉岡さんのお話を伺った時、「1974年は米国では『ディスコ元年』と言われていて、ディスコからヒットが生まれ出して、音楽業界が注目し始めた年なんですね」とおっしゃった。
僕も、まさに1974年にDisco DJを新宿V-Oneという店で始めた経緯があり、その時代の息吹を体感したわけなんですが、それ以前のディスコと言うより「踊り場」と称されていた時代も含めて70年代後半まで、ディスコサウンドといえばブラックミュージックが主体だった。特にFunky Musicが主流だったと言い切っても過言ではないと思う。
76年に僕は六本木の交差点そばにあったアフロレイキの社長、マリオ山口さんの新店でDJを勤めた。Another Worldという小箱だったが、そのあとに回したチェスターバリー、ビッグツギャザー、ブラックシープのような大箱系より、はるかに強く印象に残っている。自分の中で、FUNK系のDJとしての思いはAnother World時代で燃え尽きたような記憶がある。
76年、Brothers Johnsonの”I’ll be good to you”という曲を聴く。知り合いのBrotherがスゴイ、スゴイ!というのだが、正直なところピンと来なかった。「おとなしいね~」くらい、言ってた記憶がある。
ところが、そのアルバムを何回か聴いているうちに、いや、ブラジョンの曲で踊っているうちに、こいつはファンキーだ!とはまってしまったのだから、いい加減なものです・・(__;)
Youtubeにもあがっているし、いろいろなDVDなどにも収録されているクリップなので目にする機会が多いが、ブラジョンの”Right On Time”…
元のクリップもテレビ番組用かな?
これを見るたびに思うのだが、バックのダンサーズ(?)が選ばれた基準はなんなんだろう?ということだ。
当然、76年といえども、白人の人達にも踊りのうまい人達、アマ、プロ問わずに沢山いたわけである。
それなのに、なぜに?ゆえに?(桂三枝ふう)
想像だが、この当時の平均的な白人の方々の踊りだったのではないか?
勿論、いいとか悪いとか言いたいのではない。
70年代半ばまでディスコがアンダーグラウンドなものであったものが、世界的にドンドン、大きなビジネスに成長し、無数のヒットがディスコから誕生、ベテランミュージシャンもこぞってディスコサウンドをやるようになっていくなか、このクリップのダンサーズのような方々が世界的にディスコの客層の主流になっていく。
そうなると、もっともっと、リズムの取りやすい(あとノリなどではなくで)BPMも高めの踊りやすい、足が止まらない曲が求められるようになる。
このクリップで、ブラジョンというFUNKの雄と、その後ろで踊るダンサーズを見る時に、ディスコサウンドの主流が70年代終盤から大きく変化していった理由がありありと見えてしまう気がするのです。
しかし、いくらクチパクとはいえ、ブラジョンの二人も、こうバックダンサーズが激しいとやりにくかったのでは?・・・ww
話は元に戻るが、ファンラジに二回にわたって登場していただいた音楽評論家・吉岡正晴さんのブログ「Soul Searchin’」から、今回のインタビュー関連の記事をご紹介申し上げます。
当時、ラジオのFENにかじりついていた人も、そうでない人も、ぜひお読みにって下さい。
★ドン・トレイシーについての記事
★ローランド・バイナムについての記事
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