あまりに、自分の中だけで完結した文章でした。
まぁ、私的な話でもあり、自分自身にこそ、一番話したかったことなので他の方にとっては意味不明なところが多いのも致し方がないかもしれません。
拙い文章力では、所詮、繰り返しになるのだろうけど、もう少し、自分の気持ちを整理して補足ということで・・。
僕が子供の頃、たしかに貧しかったけれど、それは特別ではなかった。
世田谷区成城と言えば聞こえは良いかも知れないけれど、僕の地域は、僕が小学校に上がるまで、ガスも水道も引かれていなかった。
共同の井戸があって、それこそ、朝、昼は奥さん方の井戸端会議となる。
風呂は石炭で焚いていたけど、僕は小学校の3年くらいまで我が家の風呂当番だった。
つまりは、最近のヒット映画、三丁目の夕日・・あの時代ですね。
僕も、近所の家にテレビジョン様( ̄m ̄)が来たときは力道山を見に行ったけど、もう少し後の時代には、皆が「パパ大好き」や「ビーバーちゃん」などのアメリカドラマを見ては、家、冷蔵庫、車・・全てにおいての豊かさに圧倒され、「こうなりたい!」と思ったはずです。
もっと後の高度成長時代には「3C」・・クーラー、カー、カラーテレビ・・それが日本人の平均的な夢だったんですね。
僕の育った地域は、たまたま、平均以上に豊かな家庭が近所に多かったことと、たまたま、我が家が、金のことでの苦労が平均より、ちょっと多かったですが、ことさら悲劇的な状況でもなく・・というより、僕は昭和29年生まれですが、もし、ほんの30年前に生まれていたら、三丁目の夕日ではなく、戦艦大和ということになっていたかもしれない・・と思わざるを得ないのです。
30年というと、えらく飛躍した年月のようですが、最近話題にしているディスコ、ダンスクラシックの時代は、僕からすると・・ほんの30年前なんです。
ほんのちょっとの差で、夢をもつことも許されない時代だったんですね。
それを思うと、悲劇どころか、感謝せざるを得ません。
いずれにしても、僕が子供の頃は日本人皆が夢をもてる時代、そして、夢の形が、とってもシンプルで分かりやすかった時代。
その夢を日本人全体が共有していたからこそ、あっと言う間に経済大国に成長するだけのパワーをもったんだと思います。
最近では、堀江社長に続いて、今度は村上氏のニュースが紙面を賑わしているけど、僕が思ったのは、この人達も夢が強かったんだろうなぁということでした。
結果はともかくとして、あまりに短期間にあまりに巨大なものを動かしたのも事実。そしてそのパワーの源は「金儲けしたい」という夢。
しかしながら、夢の行く着くところが「金」に終始していたのも彼ら自身が明言しているように事実なんでしょうね。
金儲けしたいのは分かるんだけど、それだけの金をどうするつもりだったのか。そこが見えない。いわゆる、病んでますね~!といった感じが拭えないんです。崩壊の芽を自ら孕んでいたようにさえ感じます。
それなのに、多くの若い世代が堀江社長の成功哲学に感化されていた。
結局のところ、夢を見失ってる時代なのかな。
僕自身、若い頃の夢はすごくシンプルでガムシャラにいけたのに、この年になったときに、見失っていることの多さに愕然とすることがあります。
たぶん、こんな感じで諦めていく・・これが老化していくってことなんだろうなとも感じました。
今の時代に「うまいラーメン食いたいなぁ」って、これは、たぶん、願望でしかない。
でも、戦争中のように、食べ物がない時代に「腹一杯、ごはんが食べたい!」と、これは夢といって良いんでしょうね。
そもそも、願望と夢の違いは?ということになると、理屈っぽい話になってしまうようですが、どうやら、夢というのは、簡単に実現しない願望、ある程度以上の努力をして実現させる願望を意味するのでしょうか。
ルーサーキング牧師の「 I have a dream ~ 私には夢がある」。
すごくシンプルでありながら、僕のような日本で生まれ、日本で育った人間には理解し得ない夢。
でも、すごく大きなパワーをもち、胸を打ちます。
個人の夢でありながら、他の人達と感動を共有する夢は巨大なパワーを生み出していくんでしょうね。
「一億円貯めたい」も夢。「デッカイ家に住みたい」も夢。「世界一周してみたい」も夢。
ただ、出来ることならば、人から見たら他愛のないことでもよいから、ささやかなことでもよいから、仲間と感動を共有できるような、そういう夢も育んでみたい。
52歳の誕生日が近づくにあたり、そう思った次第なんです。